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五家荘について

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東山本店のある五家荘のご案内です。


五家荘の簡易マップ。せんだん滝、平家の里、樅木吊橋、久連子の古代の踊り等を写真で紹介

九州脊梁の奥深くに隠された秘境

「天にそびゆる高峰、白雲かかる駿嶺」と古文書に記されている五家荘は、九州中央山地国定公園・熊本県立自然公園に指定された山深い地域です。「五家荘」の名前は、樅木、仁田尾、葉木、久連子、椎原を合わせた地域ということからきています。

都会の喧騒から遠く離れたこの地を進んでいくと、静寂の中に時折滝や鳥のさえずりが響き渡ります。また秋には深い峡谷を覆った色彩豊かな紅葉を、つり橋を渡りながら鑑賞することができます。

五家荘の人々は、この豊かな自然と共存し、またこの地に残る古い伝統を守って生活しています。

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五家荘写真

平家の落人がたどり着いた地

文治元年3月、左中将平清経は壇ノ浦の戦いで源氏の船軍に破れ、入水を装って四国伊予今治、阿波国祖谷を経て湯布院にたどり着きました。

ここで竹田領士族・緒方氏のはからいでしばし居住し、その後姓を緒方と改め、白鳥山(泉村樅木)に暮らすようになりました。

その後、その子孫・緒方紀四郎盛行以降代々が椎原を統治するようになり、その居住した家は修復・復元を経て「緒方家」として今でも残っています。


五家荘写真

菅原家と五家荘

菅原道真公が藤原氏の策略によって大宰府に左遷され、その亡き後、藤原氏の差し向けた追討の軍勢によってその子供らも追い討ちの危機に晒されます。

兄弟のうち兄の菅宰相は、少数の家臣を連れ延長元(923)年、肥後国高瀬を経て五家荘の仁田尾の奥に逃げ込み、そこで左座太郎として住み着きました。矢部郷にいた弟の菅千代丸ものちにこの地に呼び寄せられ、菅次郎として樅木に住まうようになりました。


五家荘写真

大宰府の飛梅が五家荘へ

「飛梅」は太宰府天満宮の神木で、菅原道真公が左遷された際に、道真公を慕って京から飛んできたという言い伝えがあります。本来は門外不出とされてきましたが、古文書などから五家荘の樅木神社・仁田尾神社の由来が道真公をまつったものだと分かったことから、分根が実現しました。

現在は九州自然歩道(県立公園)五家荘コースでこの飛梅をごらんいただくことができます。昭和56年の分根から今日まで、五家荘には道真公ゆかりの飛梅が、伝統とともに守られています。


飛び梅

飛び梅


飛び梅

飛び梅


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樅木の吊橋

以前は人々の山での暮らしに欠かせない、生活のためのかずら橋でしたが、現在は地元の栗や杉の木を使った2つの親子橋となっています。

上段は橋長72m、高さ35mの「あやとり橋」。下段は橋長59m、高さ17mの「しゃくなげ橋」です。五家荘の峡谷にはこういった吊橋が多く存在し、秋にはその下に広がる峡谷の紅葉を鑑賞することができます。

画像をクリックすると拡大画像を表示します。

樅木の吊橋

樅木の吊橋

樅木の吊橋


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